20240101

雑感

仕事がなんだかんだ辞めることができずに今も働いている。

いい加減退職をする準備ができたのでもう手続きを進めるだけだが、今日モチベーションがさらに下がることがあり、退職への希望がさらに高まってしまった。

2024年はいい年にしたい。

 

しかしながら今日会社で音楽好きの先輩が讀賣新聞の一面を持ってきて渡してくれた。どうやら宇多丸氏といとうせいこう氏が寄稿したヒップホップ50周年に関する記事らしい。

ヒップホップの歴史の誕生を振り返りながらサマソニに出演したケンドリックが紹介されていた。

ケンドリックのパフォーマンスを振り返りながら、彼の持つストリート性、メッセージ性、音楽性の豊かさを絶賛しながら、しかし「ケンドリックだけを聴いてわかった気になってはいけない、ヒップホップは特定の天才が作り出したものではなくシーン全体で進化してきたネットワークの文化。誰かが何の気無しにやったことがネットワークを通じてトレンドが形成されてきた。」と語る、団地のパーティーから発生した文化が政治、人種、宗教、テクノロジーの発展やライフスタイルやコミュニティの変化など人間の生活に関わるあらゆる側面から絶えず影響を受け、また与えながら進化を続けるヒップホップの魅力の一端を改めて感じた。

 

会社の先輩にはケンドリックやカニエ、アウトキャストのCDを貸したり逆にこちらがロックの名盤を借りたりしてそれぞれの好きな音楽の話ができる、こういった貴重な交流ができるのはとても嬉しい。ブルシットな手間やあやふやな日本語のコミュニケーションへの憎しみがわずかばかりに解消された。

7/10〜15

雑感

Amazonプライムデー

もうここ数年は切らしてる日用品とかを買うだけになってしまっている。

でも無闇矢鱈に大して欲しくないものを買うよりずっと良い、暑さに耐えかねて日傘だけは買った。

 

・服

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ファーフェッチでKENZOのセーラージャケットを購入した。

セールで非常にお安く買うことができてとても満足。上伊那ぼたんを読んでいるとたびたびセーラー風な服が多くて良いな〜と感じていたところに現在NIGOが手掛けるKENZOの春夏シーズンが綺麗に噛み合った。

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というかこのセーラージャケットとか4巻でジンランちゃんが着てたのそのままというディテール。

今のKENZOはクラシカルで可愛らしい服が多く今後も注目していきたい。

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あとこの付け襟がめちゃくちゃ欲しい。

何にでも合わせられそうだし、そのまま垂らさせても結んでも可愛い、即完したぽいので古着市場を監視。

 

読んだ

 

人生、カベに当たっても大丈夫。だって映画があるのだから! 「カツラを外すタイミングが摑めなくて……」「だったらズバリ『スーパーマン』です!」。ラジオ界を席巻するトークマスターにして“映画ウォッチ超人”こと宇多丸が、悩めるあなたにオススメ作品を伝授する! 部下の指導法からヤンキーがモテる理由、生きる意味まで、40超の相談を収録。人生悩んだら、映画に訊け!!

最近Twitterの知り合いがYouTubeライブにて「映画の人」として紹介したことが印象に残っている、そんな宇多丸氏の映画に関する本。

読者投稿のお便りから「あなたの悩みに必要な映画はコレです!」と宇多丸氏が映画をレコメンドする形式。

読者の悩みに添いながらも映画を観る上でのスタンスとして「(劇場に集まって同じ作品を見るという)集団的体験であると同時に本質としてそれぞれが孤立した経験でしかあり得ない」とし、貴方の悩みにきっと合うかもしれませんが、そうじゃ無いかもしれない。時には貴方の溜飲が下がるのではなく、傷ついてもしまうかもしれないという姿勢で映画を紹介していて真剣だな…と思えた。

中には「ヤンキーのほうが異性にモテるのはおかしい、僕は本や映画のことも良く知っているしそれを女の子に教えてあげることだってできます」という相談に関しては「教えてあげるという上から目線の物言い。自分で思ってるよりずっと男性原理的な考え方をされていますよ。」と切って捨てながら、ウディ・アレン監督作品を勧める厳しい一幕もあり面白かった。

 

読んで観たいなって思ったのはアイドルの負の側面をも商品にしたというAKB48ドキュメンタリー映画

 

 

一夜で勢いよく全部読み進めてしまった。

読む前はリアリティーショー周辺の話が絶対好きでは無いと感じて警戒していたのだが、読み物のいいところは映画と違ってペースを自分で調節、時間を支配できることだ。

SNSに投稿される誹謗中傷の数々──をさっと読み飛ばすことでなんとかなった。

アニメだと声優の演技や音楽も派手に乗っけてどっしりと重く描いてそうでキツそうだなぁ。

芸能という世界に対する描写は日々起こり、SNSでそれを見てげんなりする数々の出来事の縮小された再生産という感じで、特に新鮮味は無いし、芸能界の人間関係による縁故が仕事の獲得や引いては作品の質にも直結しうる芸能界の政治性も力学も面白くは無い。(某ミュージシャンの''ご縁と御恩''を思い出してしまうせいなのかも)

しかしそこにパリの上流社会を駆け上がりながら復讐を仕掛けていくモンテ・クリスト伯の応用と、恋愛中心の人間関係が混ぜ込まれると凄く面白い。

特に黒川あかねさんが良いキャラクターで、彼女が役者を志すきっかけの天才子役・有馬かなが成長や自分の傲慢な振る舞いで仕事を失う中で自分を卑下するようになり、舞台や現場全体を俯瞰しながらサポートに徹する「便利な人」として芸能界にしがみついている事が本当に許せなくて、そんな彼女の今現在の生存戦略を真っ向から批判するのが本当に良かった。

そしてかなちゃん自身が簡単には10年続けてきたその生き方を捨てられなかったのも時間の残酷さを感じられて良かった、結局かなちゃんをかつての太陽に戻すことが出来たのは10年前に彼女の全能感をへし折ったアクア自身であり、あかねさんでは無かったのだなぁ。

 

読む前はもっと様々な要素が過激なのだろうというイメージを抱いていたが「アイドルだって当たり前に人間でそんなふうに扱われる言われはない」「芸能人である前に守られるべき子供である」という価値基準を絶対に守り抜いていて、ストーリー展開の構成含めてあらゆるバランスをきちんとコントロールしようとしてる雰囲気を感じて、思ってたよりずっとずっと読みやすかった。

 

ジブリの最新作「君たちはどう生きるか」も観たのだがもう少し自分の中で咀嚼してから思ったことを書き起こしたい。

 

 

 

 

7/5〜9

雑感

Twitterの騒動に触発されてあれこれとSNSアカウントを用意してみたが、結局はTwitterのヘビーユーズは変化なさそう。

新しく始まったthreadsはTwitterに近い作りであるが急造という感じで、TLは自分で選べず、フォローしてる人が企業や業者に埋もれてしまっている。

使いやすくアップデートしていって欲しい。

 

・岩倉玲音さんのあれ何。

にゃるら氏の事は割と好きで、彼の読んだ本に関する感想が見たくてnoteなども定期的に目を通しているが、あまりニディガに関しては好意的に見ることができていない。

メンヘラやオーバードーズをエモの文脈でキャッチーに消費するのは危ないなと思ってしまうし(これはUSラップシーンの中での1ジャンルにおけるエモラップの興隆と、風邪薬など簡単に入手できる薬物への依存に苦しみながら、オーバードーズによって次々とラッパーが亡くなっていく中での衰退を目にした以上、強く強く思ってしまう)、引用元の文脈が抜け落ちたパロディが苦手だ。一方で彼の創作性はともかく、プロデュース力やクリエイターを巻き込んでいくキュレーターとしての才覚は非常に優れていると感じる、あまり好きな創作性ではない部分に好きなクリエイター達が取り込まれていく事を好ましく見る事はやはり、難しいけれど。

今回は作品のイメージすら逸脱していて本当に嫌な気持ちになった。

 

読んだ

あなたに死なないでほしい。
家父長制、資本主義、天皇制に抗して、あらゆる生存のためになにができるのか、なにが言えるのか。金子文子やデヴィッド・グレーバーを参照軸に、アナーカ・フェミニストの立場からこのくにの歪みを抉り出す、ライター高島鈴の初エッセイ集。脈打つ言葉は、きっと誰かの心臓と共鳴する。

国家・家父長制・異性愛規範・資本主義をはじめとするあらゆる権力・差別・中心主義を批判・破壊・拒絶する事を明言した序文から始まり、著者は絶え間なくこの社会に蔓延る人々を苦しめる価値観や権力に疑義の目を向け続けながら「あなたに生きていて欲しい」と訴えている。具体的に抵抗を行動として起こす事が出来なくても、布団に這いつくばっていても、生き延びる事そのものが抵抗であると力強く呼びかけている。

しかし著者自身が「アジビラである」と言ってしまうくらいの力強さ溢れる序盤の文章は、読み進めていくと、どんどん著者個人の葛藤や躊躇も含まれていく、頻繁に追記が差し込まれるように、著者自身がリアルタイムで思索を続け書き連ねていく(しかし追記に留め、過去その時に考えて描いた文章を削除や修正する事はない)

純粋で正直で、フェアな態度を貫こうとするその在り方、著者自身も理想に向けて戦い続けている様子が痛ましいほど文面から伝わってくる。

また、映画や音楽などのコンテンツ批評も充実していて面白い。

特にルッキズム問題を取り上げる中での音楽批評や、映画「テルマ&ルイーズ」のコラムが好き。

著者の考えのその全てに同意できなくても、その真剣さには胸打たれるものがあるはず。

 

著者は30代の男子校教師。
フェミニズムの波は普遍的人権を保障してきた歴史の流れに乗っている、世界は変わりつつあるとし、その上で男性たちに自分を振り返り、フェミニズムを学ぼうと呼びかける。
その波に乗る韓国社会を分析し、「なぜ(男が)フェミニズムを学ぶのか」を小学生にも分かるように綴っていく。
韓国で反響を呼び、ここにめでたく翻訳版も出版された。
学ぶのも、フェミニストになるのも、遅すぎることもないし恥ずかしいことでもなんでもない。
31冊のブックガイドも収録。

 

21歳の時だった、大学内のフェミニズム研究会で学んでいた後輩男子に尋ねた。

「男なのに何のためにフェミニズムの勉強をしているの?」

私(著者)の質問ににっこり笑いながら答えた彼の表情、声、まわりの風景がいまでも鮮明に蘇る。衝撃的だった。

「男だからよく分からないんです、学ばないと」

まずこの序文の著者がフェミニズムを学ぶきっかけとなった出来事の描写に惹きつけられて本書を手に取った。

著者のフェミニズム観は自ら育ってきた家庭での母や祖母の人生を振り返る中での後悔や贖罪意識から出発する。

韓国社会における家庭の在り方とジェンダーギャップなどを自身の経験を振り返りながら炙り出し、自分を含めた男性自身にできる事を取り上げている。

巻末のブックガイドはとても参考になるし読みたいものも多いが、未邦訳も多くて残念。

 

見た

アトランタ S1&S2-略奪の季節

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カネ無し、夢無し、行く当て無し。親に愛想を尽かされ、元カノの家で居候する始末なダメ男アーン。薄給の仕事で何とか食いつなぎ、その日暮らしな生活を送っていた彼が目にしたのは、従兄弟のアルフレッドがラッパー“ペーパー・ボーイ”としてその名を轟かせようとしている姿だった。アルフレッドの姿に希望を見出したアーンは、マネージャーとしてアルフレッドの片腕、そして (家賃を払える) 一人前の男となることを決意する

「This Is America」のMVで話題になったヒップホップアーティスト、チャイルディッシュ・ガンビーノこと俳優ドナルド・グローヴァーと、そのMVも監督したヒロ・ムライのコンビが手がけるテレビドラマシリーズ。

主人公アーンと従兄弟のラッパー・ペーパーボーイ、その親友・ダリウスの3人が、音楽業界での悲喜交々を体験しながらのし上がっていく、なんて事は全くなく、彼らを中心にした地元・アトランタでの日常を描いた不条理コメディ。

とにかく風刺が多く、コレって笑っていいのか?という奇妙な空気が全体の空気を覆いながら笑ってしまう。感覚としては連続モノの「世にも奇妙な物語

例えば、アーンは繊細で気弱な男なのだが、彼がペーパーボーイのマネージャー業でまとまったお金を手にした時、行く場所全てで100ドル紙幣を偽札と疑われ使えなかったり、映画館でデビットカードを使おうとすると同時に身分IDの提示を求められる、しかし彼の次に並んだ白人の男性には提示を求められず、男性に話しかけると男性は腰に差した拳銃をチラつかせる。結局、黒人コミュニティのストリップクラブで管を撒きながら出来事の一部始終を仲間に話すとペーパーボーイから「堂々とした態度を取れないお前は売人に見えないから偽札と思われる、お前が100ドル札を使えないのはお前に貫禄がないからだ」と言われてしまう、黒人が向けられるステレオタイプを黒人が肯定、内面化し、差別に怒るのではなくアーン自身に問題があると説教する。

そういった風刺を不条理コメディとして描いてくるバランスが凄い。

こういった不条理はペーパーボーイにも向けられる。

彼は1話の冒頭で駐車場でのトラブルから拳銃を意図せず暴発させ人を撃ってしまう。

それが地元で有名になり''サグでリアルなラッパー''として持て囃される、行ったチキン屋では店員から絶賛、サービスされ上機嫌になったかと思いきや脅しをかけられ微妙な空気になる。

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ペーパーボーイは短気だが良識も持っていて、真面目な男なのだが、事件によって付いた彼のラッパーとして持たれるイメージと本人の乖離による不条理が面白い。(ペーパーボーイが一番常識人という異常な作劇になっていて、彼が振り回される回、インフルエンサーとのしょうもないSNSでのバトル、散髪屋に行けばなぜかたらい回しにされて犯罪の片棒を背負わされるなど、抜群に面白い)

このように次々と「これ笑っていいの?」みたいな困惑が襲ってくるドラマ、エピソードごとに作風もリアリティラインもぐちゃぐちゃで、ジャスティン・ビーバーが登場するもなぜか黒人俳優だったり、透明な車だって出現する。

 

際立って奇妙なエピソードはS1のEP7。

7話「人種転換」は、モンタギューという討論番組にゲスト出演したペーパーボーイ、テーマは人種・セクシャリティ。完全に1話まるまるモンタギューの放送という形のエピソードでCMまで挟まっている。

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白人の社会学者と司会者とペーパーボーイ。社会学者は、ヒップホップの歌詞やラッパーの姿勢について批判。それに反論するペーパーボーイという構図、社会学者はペーパーボーイのSNSでのトランス差別発言に「あなたの発言の背景にはこういった社会背景がある」と何倍も先回りした結論ありきで話し、ペーパーボーイは何言ってんだコイツ?と困惑する。

議論は平行線のまま、悩める若者の特集として、ハリソンという黒人の少年が登場する、ハリソンの本名はアントワンで、彼は自身の心は35歳の白人であると主張する。

''昔から疑問に思ってた

なぜ僕は周りに軽く扱われる?''

''ある日気づいた、白人で、35歳だと''

ハリソンの母はこう語る。

''白人と思うわけない、私がリアーナじゃないように、息子も白人じゃないわ''

ハリソンは母を「人種に囚われ過ぎている」と語る一方で、白人男性として振る舞うイメトレとして茶色のベルトを履きこなし「昨日のゲームオブ・スローンズ見た?」と会話のシュミレーションをする。

挟まってくるコマーシャルも隠喩と奇妙さは加速し続け、皆が絶賛しながら何故か中身は捨ててるタバコのCM、ガビガビな画質と合成背景の映像で語りかける陰謀論インフルエンサー、子供からシリアルを盗もうとしたオオカミを警官がボコボコにしてそれを見て子供達がドン引きするシリアルのアニメ調CM。

そしてコマーシャル開け、ハリソンは金髪のカツラを被って登場する。

 

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それを見たペーパーボーイは大爆笑。

アイデンティティは白人として立脚している彼は「黒人は人種の多様性を受け入れないものだ」と述べる。

社会学者はハリソンに「性的少数派に対するラッパーの態度を見ると、黒人が少数派を嫌ってることが分かる、それはあなたにも問題でしょ?」と質問。

すると、ハリソンのアイデンティティはあくまで保守的な中年の白人であるため

「男が女になりたいなんて不自然だ 子供たちにも悪いことだと教えないと」

「僕は同性婚に反対だ! 生理的に受け付けない 結婚は男女が行うモノだ 同性婚はいけない」

と自らをマイノリティと主張してたハリソンは一転して差別的なマジョリティとして振る舞い他の少数派を攻撃し始める。

社会学者と司会は目を剥きペーパーボーイはイカれてるぜ!と大爆笑、完全に番組が破綻してエピソードは終える。

このように、反応に困るエピソードの数々が繰り広げられる奇妙なドラマ・アトランタ

本当に反応に困ってしまうよ。何だコレ。

 

ヒップホップ・カルチャーを描いているドラマとして、実際に多くのラップの楽曲が流れてくる。

中でも好きなのはシーズン1のラストでアーンが住んでいる貸し倉庫に帰っていくシーンで流れるアトランタを代表するラップデュオ・アウトキャストのElevatorsが流れるシーン。

「俺たち音楽業界でのしあがってるはずなのに金が全然ねえぞ?おかしくね?」という歌詞と陰鬱でダウナーなビートと共にレンタル倉庫で寝泊まりする金無しのアーンの映像はバッチリハマっててかなりイカしている。

 

 

7/1〜4

雑記

Twitterが大変なことになってしまった。

主にこういった事実経緯があるとの事らしいが、経営者がすげ変わりたった半年でここまでめちゃくちゃに掻き回せてしまうのは感心する。

本当に勘弁して欲しい、ほどほどに繋がれる緩さと、爆発的な拡散力は優れたSNSだとは思っていたのだから。

私はこれでコンテンツの情報収集を行なっていた面も大きいため、存続はして欲しいと思っている。

 

・髭脱毛

初めての医療脱毛に行った、顔が白いため青髭が見えるのがコンプレックスだったのと、普通に髭を剃る習慣が面倒くさい、何で生えてくるんですかね、コレ。

看護師さんの丁寧な説明を受け洗顔、施術の流れだったが、仕組みは毛穴の奥底にある「毛乳頭」や「毛母細胞」と呼ばれる毛が生えてくる原因をレーザーの熱によって破壊する、という事らしい。

事前に言われてはいたが照射されるたびにゴムをバチンと当てられるような痛みが襲ってくるため、終わった後の達成感が凄かった、これを毛が生え変わってくる周期に合わせて何度も繰り返して最終的には完了するらしい。

 

読んだ

 

主人公・あかりは、男女混合アイドル「まざま座」メンバー・上野真幸(うえのまさき)を推すことに生活のすべてを費やしている女子高生。 しかしある日、推しの上野真幸がファンを殴る事件が発生し、炎上。 あかりの「推し」のための日常は変化を余儀なくされる――。

大好きなアイドルを推すことで現実をなんとか生き抜くことができていた主人公・あかりの現実が推しのアイドルの炎上と重なり合うようにバラバラと崩れ落ちていく光景を平易で小気味良く、しかし凄味のある文体で読ませてくれる。

SNSやピーターパン表象における成熟への拒絶と、推しのアイドルを自分に重ねていく熱狂、発達障害と家族を含めた周囲の無理解と様々なトピックが挙げられていた。

主人公・あかりが自分の事をきちんと理解して彼女なりに頑張っていても、それでも現実生活が上手くやれない、部屋の片付けをする、学校の課題を出す、バイトをうまくこなす、他人が頑張れば出来て当たり前と定義される事を乗り越える事が彼女には難しい。

そんなままならない現実の中で「推し活」に光明を彼女は見つけるわけだが、彼女はそれを自身の「背骨」と例える。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。 勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになってく。

このようにあかりは自分の現実を冷静に俯瞰していながら、推し活に熱狂していく。

家族はそんなあかりを見て「勉強などやるべき事はしないのに、アイドルにうつつを抜かすことはできる、遊んでいる」と感じる、しかしそうじゃない、彼女は「生きるためには推し活しかない」のだ。

そんな彼女の悲鳴を家族は理解できない。コレが辛い。

彼女が自分を冷静に客観視しながらも、生きるためには推しに熱狂していくしかない、そうして現実生活は後ろへ後ろへ遠ざかり脅かされていく。地獄のような道程だ。

 

また、友達・成美とのアイドルに向き合う距離感の違いも、あかりがままならない現実との対比を浮き彫りにしているようで面白かった。

成美は「触れ合えない地上より触れ合える地下」と、地下アイドルの方に熱狂している。

そのために服や容姿に気を遣い、まぶたの切開手術までしており、地下アイドルと付き合うという目的を達成している。

対してあかりは

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

というように、その距離の遠さに救われている。

その距離ゆえに推しを「解釈」しようとし続けそのためのブログを更新していく。

その過程は推しに自分の生き方を重ねて、推しの生き方や思考、哲学から自らが立ち上がるためのヒントを求めようとしているかの様、しかしかつてのピーターパンは成熟し大人になっており、成熟を拒否したい自分の幻想を仮託できる存在ではなくなってしまった。

その現実を受け入れざるを得なかった彼女がバラバラと散った背骨を広い集める儀式めいたラストで本作は終わる、ポップなイラストからくる印象とは随分違ってた作品だ…。

 

 

6/29・30

雑記

・美容室に行って、縮毛矯正をした。

髪がかるーい。

 

日本語ラップシーンの大御所が本当に好きじゃない。

特に呂布カルマ、こんな人に大きな発言力があるシーンがマトモになる訳がない。

「男なら皆そうする」って、一緒にすんな。

この人がミソジニー発言をして炎上するたびに他のラッパーのバトルラップの同様に酷いミソジニーをラップしている様子が掘り起こされ、それを見てうっすらシーンのことが嫌いになって、を繰り返す永久機関が完成しちまったな〜〜。

こういうトキシック・マスキュリニティな振る舞いをする人がのさばっていると若手に迷惑をかける。

 

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース

スパイダーバース2作目、正直2時間20分も使って予告編で大体のストーリー語り終えてるじゃんという感じで、予想を超えてくるストーリーでは無い。その上起承転結の転にあたる部分で終わってしまった。

でもすっっっっごい面白かった。

アニメーションが本当に凄くて、マルチバース的な要素も扱うため画面にバラバラな作風のキャラクターが同時に登場しているのに全く違和感を感じない、色調も自由でキャラクターの感情に沿ってバキバキに寒色で染められていたりする、2時間以上も物凄い情報量が画面に飛び交っていながら、きちんとキャラクターのドラマを重厚に描いているので食い入るように夢中になって没入できた。

主人公・マイルスだけでは無くて、今作ではグウェンにも大きくスポットが当てられたW主人公形式でマイルス、グウェンがそれぞれの孤独や悩み、誰とも分かち合えない秘密を抱える葛藤と、子どもたちが成長し、何かに苦しんでいても秘密を打ち明けてくれない事に戸惑うそれぞれの親との交流がこの映画の大部分を占める。

この親と子のコミュニケーションが本当に丁寧で、見ていてずっと胸が締め付けられていた。

特に水彩画のような色彩で描写するグウェンの描写が美しかった。

その映画の大部分を占めるパートがつまんないと思う人は微妙なんだろうな……。

このリリックビデオに収録されているように、ニューヨークの街を逆さに眺めるマイルスとグウェンのシーンが1番印象的、人とは違う見つめ方で世界を見つめる孤独な者同士の共鳴。

Metro BoominとSwae Leeはよく一緒に曲を作っているというか、Metroが作る楽曲作品の客演が固定化されてきてる気がする。

笑えるシーンも多かったが、1番笑えたのはラッパー・Childish Gambinoでありコメディアンでもありドラマプロデューサーと多彩に活躍するDonald Gloverが実写のまま牢屋に居たこと。

 

聴いた

Lil Uzi Vert-Pink Tape

94分は長いっす。

今回はかなりサンプリングが多かった印象、それも様々なジャンルから取り入れている。

思いっきりメタルの要素を混ぜた作風でBring Me The HorizonやBABYMETALに自分を引き寄せるのでは無く彼らの色に染まりに行ったり、かといってTravis Scottや Don Toriverなど同じシーンを走っている仲間たちと従来のようにトラップに載せてラップをしたり凄く雑多な感じが出ていて、しかしコンセプトが迷子になってます、という混乱させる感じはせずしっかりまとまっていると思った。

お気に入りの曲

 

黒鉄たま (CV: 秋奈) - いただきバベル (Aiobahn Remix) 

MVがまず凄く可愛い、ローファイ、ダブステップ…とめまぐるしく展開が変わってくのが楽しすぎる。特にポンチャック?と言われてるへろっとしたゆるいビートからトラップを挟むとこかなり好き。

 

 

 

 

 

 

6/27〜28

雑記

・有給が貯まってたので3日休みを取った、それじゃあ何をしたのか?というと別に何もしてない……。アニメは見てた。

他に有意義な過ごし方も出来たはずなのに……。

 

・サボテンが調子を崩したかな?と思ったわずか1日も待たずにダメになってしまった、根腐れなのだろうか……。育てやすいとされるサボテンすら満足に育てられないとは、ごめんよ。

 

 

見たもの

・スキップとローファー

地方の小さな中学校から、東京の高偏差値高校に
首席入学した岩倉美津末。
カンペキな生涯設計を胸に、ひとり上京してきた 田舎の神童は、勉強はできるけれど距離感が独特でちょっとズレてる。 だから失敗することもあるけれど、その、天然っぷりにクラスメイトたちはやわらかに感化されて、十人十色の個性はいつしか重なっていく。
知り合って、だんだんわかって、気づけば互いに通じ合う。
だれもが経験する心のもやもや、チンテンした気持ち。
わかりあえるきっかけをくれるのは、かけがえのない友達。
ときどき不協和音スレスレ、だけど
いつのまにかハッピーなスクールライフ・コメディ!

主人公のみつみちゃんと、元子役の過去をもつイケメン・志摩くんとのラブコメが中心に据えられながら、タイプが違う人々の交流が描かれていくアニメ、普通高校の、ばらばらでいろんな人が集まってくる混沌とした感じが丁寧に描かれていると思う。

みつみちゃんは地元の石川県の過疎を解決したく、そのために東大を目指して将来は官僚になるという夢を持ち、純粋で、何事にも一生懸命だけど天然で少しから回ってしまうという女の子、対する志摩くんは元子役で、ふんわりとした雰囲気をまとい、場の空気も読めてクラスの中心に居る紳士、その端正な容姿を自覚して、そういった容姿が起因で人間関係に深く関わっていく事を避けて周囲の人たちに薄く壁を貼って浅い人間関係を保つ、物事に諦観をしてしまって変に大人びてしまった男の子。

みつみちゃんが狭い田舎のコミュニティから東京に飛び出して、急に大勢のいろんなタイプの人と関わることによって、人との距離感に悩みながらも頑張っていくみつみちゃんの持つ天然さ、善性がプラスに働いていくだけじゃなくて、それは無自覚に他人を傷つけてしまう描写もちゃんとあり、そういうみつみちゃんの性質が志摩くんとの関係をギクシャクさせる6話のエピソードが特に好き。

学校を何となくサボってしまった志摩くんに対してモヤモヤしたみつみちゃんと志摩くんの価値観の違いが衝突してしまうエピソードなのだが、その時みつみちゃんは「テスト期間中は授業で特に大事な事言うんだよ」「1年生でも期末テストは大事」だと、世間一般的な常識を無邪気に信じているみつみちゃんはその常識を切り口にして志摩くんが休んだことを咎めてしまう。

志摩くんには志摩くんの境遇から来る価値観や事情があるという事を想像できなかった彼女は、ギクシャクしてしまった関係に悩みながらも「そんな不真面目は良くない」とかそもそもそういった事が自分は言いたかったんだっけ?と考え直し、改めて今度は、志摩くんが休んでどう感じたのかという自分の気持ちを正直に話すことにした。「もっともらしい事言ったけど、ほんとは、志摩くんが来ないとつまんないから来てよって、言いたかっただけなんだ。」

そういった世間一般の常識を内面化した意見よりも、率直な自分の気持ちを伝えるほうがよっぽど志摩くんには素直に響く。

スキップとローファーにはこういったそれぞれの人物がそれぞれの経験から基づく偏見に基づいて相手を判断し、コミュニケーションを取っていく中で「違う、そうじゃないんだ」と気づかされていくシーンがとても多い。

そういった穿ったコミュニケーションをしていた自分自身を恥じ、反省しながら相手のことを理解し、同時にそういった偏見を持っていた自分を客観視し自分自身を見つめながら友情なり恋心を深めていく事の連続、それって凄く人間関係の真理だよなぁ…。と思いながら見ていた。

特に自分はみつみちゃんと同じように志摩くんの事がちょっと良いな、と感じているクラスメイトのミカちゃんが好きで、彼女は過去のルッキズムにまつわる経験で傷ついた過去からオシャレに気を配って、ヒエラルキーの高い部活やコミュニティに参加して…と他人軸の中で生きながらもがいている子だ、そういう生き方をしている彼女は、飾らずに空気を読まない、オシャレでもないのに志摩くんと仲良くなっていくみつみちゃんを見て暗い気持ちを抱いてしまったり、シンプルなスタイリングでも存在感を隠せないほどの美人であるクラスメイトの結月ちゃんに嫉妬してしまったり、そんな自分を顧みて自己嫌悪したり…ととても難儀な子で、きっと自分含めきっと多くの人が一定以上に共感してしまう複雑な子だ。

 

ミカちゃんに「わかる〜」と共感する一方で、社会構造が作り出す言説やゲームルールに則ってそこで競争する事によって苦しんで欲しくはないな〜とも思う。

 

 

6/24〜26

雑感

・夏の退職シーズン!!

ここ最近は将来やりたいことのために仕事を辞めようと考えていたが、他の若手社員も数人は同じように考えていたようだ。

それぞれの人生の目標が達成されることを願いつつ、現時点でギリギリの人数で回しているこの会社は大丈夫なのだろうかと余計な心配をしてしまった。

 

・祖母のこと

祖母がアルツハイマーだと診断されたようだ。

自分は母が若くして離婚し、幼少期はシングルマザーの家庭で育った、一生懸命働いていた母に代わって弟を含め自分たちを育ててくれたのは祖母だった、とてもたくさん迷惑をかけたし、愛情を注いでもらった。

そんな祖母がいよいよアルツハイマー、これは治るものでは無いし、どんどん進行していくのだろう、話せるうちにたくさん話しておかないと。

 

水星の魔女のグエル

現時点で放映されている23話まで見た。

グエルが父親を殺してしまったことで父親と対話する機会を失ってしまったままグエルは会社を継ぐ事になって、そこに唯一残った父との繋がりを見出したまま父を美化し、結果的に(ヴィムよりは遥かにソフトで非常にマシだが)家父長制の再生産になってしまった過程が丁寧に描かれていたと思う、家父長的な関係性の中では家長による束縛と支配の構造の中で同時に、家長は自分の家族よりも強くあらねばならず、弱みを他人にさらけ出せないという自らに課す抑圧が問題だが、それは「家族を守っているつもりで、実際は家族と一切対話せず、顧みる事も無い、その高潔さの実体はただの傲慢である」とラウダが直に批判して真っ向から対峙してくれ、家長の命令を無視して自らの意思で付いてきたフェルシーの行動で一定以上に家父長制への批判は達成されたと思う。

23話までグエル周りに関してはすっげ〜〜〜〜もやもやしてたけど、落とし所としては悪くはなかったと思う。

スレッタとミオリネのこともちゃんと考えたいし(今は多分バイアスがかかっているので)もう一度見ながらちゃんとフラットに意見を持ちたい。