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雑記

Twitterが大変なことになってしまった。

主にこういった事実経緯があるとの事らしいが、経営者がすげ変わりたった半年でここまでめちゃくちゃに掻き回せてしまうのは感心する。

本当に勘弁して欲しい、ほどほどに繋がれる緩さと、爆発的な拡散力は優れたSNSだとは思っていたのだから。

私はこれでコンテンツの情報収集を行なっていた面も大きいため、存続はして欲しいと思っている。

 

・髭脱毛

初めての医療脱毛に行った、顔が白いため青髭が見えるのがコンプレックスだったのと、普通に髭を剃る習慣が面倒くさい、何で生えてくるんですかね、コレ。

看護師さんの丁寧な説明を受け洗顔、施術の流れだったが、仕組みは毛穴の奥底にある「毛乳頭」や「毛母細胞」と呼ばれる毛が生えてくる原因をレーザーの熱によって破壊する、という事らしい。

事前に言われてはいたが照射されるたびにゴムをバチンと当てられるような痛みが襲ってくるため、終わった後の達成感が凄かった、これを毛が生え変わってくる周期に合わせて何度も繰り返して最終的には完了するらしい。

 

読んだ

 

主人公・あかりは、男女混合アイドル「まざま座」メンバー・上野真幸(うえのまさき)を推すことに生活のすべてを費やしている女子高生。 しかしある日、推しの上野真幸がファンを殴る事件が発生し、炎上。 あかりの「推し」のための日常は変化を余儀なくされる――。

大好きなアイドルを推すことで現実をなんとか生き抜くことができていた主人公・あかりの現実が推しのアイドルの炎上と重なり合うようにバラバラと崩れ落ちていく光景を平易で小気味良く、しかし凄味のある文体で読ませてくれる。

SNSやピーターパン表象における成熟への拒絶と、推しのアイドルを自分に重ねていく熱狂、発達障害と家族を含めた周囲の無理解と様々なトピックが挙げられていた。

主人公・あかりが自分の事をきちんと理解して彼女なりに頑張っていても、それでも現実生活が上手くやれない、部屋の片付けをする、学校の課題を出す、バイトをうまくこなす、他人が頑張れば出来て当たり前と定義される事を乗り越える事が彼女には難しい。

そんなままならない現実の中で「推し活」に光明を彼女は見つけるわけだが、彼女はそれを自身の「背骨」と例える。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。 勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになってく。

このようにあかりは自分の現実を冷静に俯瞰していながら、推し活に熱狂していく。

家族はそんなあかりを見て「勉強などやるべき事はしないのに、アイドルにうつつを抜かすことはできる、遊んでいる」と感じる、しかしそうじゃない、彼女は「生きるためには推し活しかない」のだ。

そんな彼女の悲鳴を家族は理解できない。コレが辛い。

彼女が自分を冷静に客観視しながらも、生きるためには推しに熱狂していくしかない、そうして現実生活は後ろへ後ろへ遠ざかり脅かされていく。地獄のような道程だ。

 

また、友達・成美とのアイドルに向き合う距離感の違いも、あかりがままならない現実との対比を浮き彫りにしているようで面白かった。

成美は「触れ合えない地上より触れ合える地下」と、地下アイドルの方に熱狂している。

そのために服や容姿に気を遣い、まぶたの切開手術までしており、地下アイドルと付き合うという目的を達成している。

対してあかりは

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

というように、その距離の遠さに救われている。

その距離ゆえに推しを「解釈」しようとし続けそのためのブログを更新していく。

その過程は推しに自分の生き方を重ねて、推しの生き方や思考、哲学から自らが立ち上がるためのヒントを求めようとしているかの様、しかしかつてのピーターパンは成熟し大人になっており、成熟を拒否したい自分の幻想を仮託できる存在ではなくなってしまった。

その現実を受け入れざるを得なかった彼女がバラバラと散った背骨を広い集める儀式めいたラストで本作は終わる、ポップなイラストからくる印象とは随分違ってた作品だ…。