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雑記
長らく日記をサボっていた。
年末年始は仕事に奔走していて、無理くり休みを作って実家に帰ったり、友人に会ったり、サカナクションのライブに行ったりとかまぁほどほどに楽しんだ。
コロナ禍で帰れなかった実家にしばらくぶりに帰ると、幼稚園に通っていた弟がもう小学生になっていたりするので記憶の中のあの子とはもう別人だ。
仕事を辞めて一時的に実家で羽根を休めていた次男なんかはもう5年ぶりになるので半分知らない人だ。
長らく会ってない次男や成長目まぐるしい子供がいる実家はバイトに出掛けていく次男の残す「ご飯は食べてくる」などの連絡事項の書き置きや母が小学生の弟のために家中に貼り付けてある、例えばトイレには「座ってする」などの注意書きがそこら中にあり、そういう「人が共同生活している空間」に5年以上一人暮らししてる自分は軽いカルチャーショックを受けた、自分の実家なのに知らない人の家に上がり込んだ感覚に幾許かの寂寥感というか、仲間はずれ感を覚えた。
関東に出てきてからいろいろと自分の趣味嗜好も変わり、例えば久しぶりに再開した元から服が好きだった友人とセレクトショップを回ったりとか(あの頃の自分は服に興味がなくて彼と行くのは専らゲーセンだった)
仕事の話や変化した趣味の話など、まさかお前とこんな話をするとはなと盛り上がった、そうした中で自分を取り巻く色んなことや、自分自身も否応なしに変わっていく時間の流れを強く意識させられた。
あと年末年始はPCから離れることができ、ホワルバ2を意識させられずに済んだことも大きい。
FGO
遂に青天井だったFGOくんにも天井が実装された。
その直後に天井点検するハメになりめちゃくちゃ複雑な気持ちにさせられた、そもそも遅いよ。
今完全にコレです。
あと、最近はアナスタシアの幕間をやって、それがとても良かったです。
Fateにおける英霊、サーヴァントの召喚はクラウド上にあるデータをその都度コピーしてる感じで、あくまで英霊本人では無くそのコピーに過ぎず、またあくまでその場限りの存在で記憶を持ち込す事も基本はできない(クラウドに記録は残るし、例外として特定の召喚時の記憶を持ち越してるキャラクターも複数いる)一度の召喚で生まれ、消滅する時がその死になる。
FGOではシナリオ上かつて敵対したサーヴァントが召喚され、味方として共に戦うことがある。
第2部から敵にマスターとしてサーヴァントを使役する魔術師が登場し、アナスタシアはそこで敵対するマスターのサーヴァントとして初登場し、主人公たちのホームを襲撃したキャラクターだ。
今回の幕間はその後の話で、主人公に召喚されたアナスタシアがかつては別のマスターの傍に立ち、主人公たちのホームを壊滅させ、仲間たちの命を奪い、主人公たちとの戦いの果てに敗れた記録を知ってしまった苦悩が描かれている。
かつて別の人のために行動し、愛を捧げ殉じたキャラが突然ガチャ画面から排出される事に関してユーザーとしては複雑な心境になるこのゲーム、敵対した獣国の皇女としての彼女ではないのは分かっていても。
「私じゃない私」へのアプローチをとても丁寧な言葉の紡ぎ方で描き、どちらのアナスタシアも尊重したシナリオで大変満足した。
結局のところ、人は結びついてこそ、人を魅力的に想うのだ。
はaikoの歌詞くらい首肯するしかないくらいにはその通りだなと感じた。
我々は背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道で罪を背負うべきだからだ
というセリフがある。
獣国の皇女とアナスタシアは違う道を歩む別々の人間なのだから、当然アナスタシアが背負う責任も資格もない。アナスタシアはアナスタシアの道を歩み、その先で彼女だけが背負える、背負うべきモノがあるだけだ。
昔から作品を通して紡がれた根底の価値観のブレなさも好感を覚える。
聴いた音楽
Wet Legというイギリスの女性二人組バンド。
90sのオルタナティブロックサウンドがキャッチーなフレーズの繰り返しなど含め現代的なアプローチで蘇ったような感じ。
MVも可愛らしく、そして独特で奇妙な世界観で見ていて楽しい。
Too Late Nowは歌詞もとても良かった。
自分が周りと違って大人らしい大人に成熟できてないように感じる焦りや、情報過多で流れも速すぎるSNSに辟易した感覚も20半ばに達し始めた自分には深く共感できるし、泡風呂にゆっくり入れば大抵の気持ちはなんとかなるという彼女たちなりのアドバイスもユーモアが効いていて好感が持てる。
1stアルバムは4/8らしい。