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見たもの

ストレンジャーシングス シーズン4

Netflixオリジナルドラマ、80年代アメリカの片田舎を舞台に超能力の少女が開いた裏側の世界と現実の世界が交錯するホラーSF群像劇

80sリバイバルと少年少女たちの成長が魅力の本作4作目は高校生組、青年組、大人組、超能力の少女エルの4つの視点が1つに絡み合っていく作劇で、それぞれのドラマをきちんと描こうとひたすら足し算で作られて、結果として1エピソードの時間がばらばらで最終的に2時間超えのボリュームに。

少年少女や超能力少女エルは成長していく中で友情と恋愛、アイデンティティの確立に揺れ動き、青年達は自分たちの青春を振り返り、実現しなかった夢や関係に想いを馳せ、大人達はそれぞれの人生の悔恨、呪いに立ち向かう、たくさんの魅力的なキャラクターが複雑に絡み合いながら、舞台の片田舎で起こる裏側の世界からの攻撃による連続猟奇殺人、怪物が闊歩する裏側の世界の真実に一丸となって立ち向かう。

シーズン4は終盤とにかく執拗なくらいにキャラクターを対話させ、それぞれの想いを語り合う、伝えたい事はちゃんと言葉にして伝えなきゃという意識を感じた。

伝えるべき気持ちを伝えてこなかった後悔と美しい思い出をケイト・ブッシュの音楽が繋ぎ、少女の背中を押す一連のシークエンスが作中1番好きでした。

Netflix、こういう作中の名シーンを切り抜くのはどうかと思うが、やっぱり作品を見てもらうにはまずこういうサビの部分すら使ってでも人を掴まないといけないという事なのだろうな。

あと、本国版に比べNetflix Japanのサムネは終わっている。

ストレンジャーシングスの物語に複雑性は無いかもしれない。どこまでも普遍的だ、引用されるものが80sカルチャーだからなのかもしれないが、とにかくシンプルな物語のフォーマットが「王道だけど、やっぱり凄くグッとくるでしょ!」という主張を感じる。

タイムレスで本質的な物語が持つ魅力をとにかく感じる作品だった。

ネヴァー・エンディング・ストーリーというのも、そういう事でしょう。

ハイコンテクストになりがちな現代の物語に少し疲れた人には少し癒しになるかもしれない。

 

 

 

水星の魔女 10・11話

いわゆる匂わせ百合論争に気持ちが若干引っ張られてつい貯めがちになってしまう、期待をするのは何事も良くないと分かってるし、こういったセンシティブな話題に期待を置きすぎるのはもっとそうだ……という気持ちになりながら視聴、したけどこの2話でだいぶ期待しちゃっても良いのでは……?と傾きつつある。

花嫁、花婿という関係性をさす言葉も視聴者でそこそこ議論になってはいるがもう2人の間の花嫁と花婿というラベルに旧来の男女規範を指す言葉としての意味はなく、その名前が持つ意味を2人で再構築している最中なのでは無いのかと思う。

デリングが作ったこの枠組みからの脱出をするのではなく2人がその枠組みを内側から変えていく、そういう物語になるのではないかと思う、ストレンジャーシングスにも有害な父性が描かれているが、それは子が親に対峙して破壊されるものではなく、双方から解体され再構築されていくものだった、最近ハマっている原神も子と親の対峙と関係の再構築の1歩が描かれていた、やけに似たテーマにぶつかる事が多く意識してしまうのかもしれない。

しかし私は自分の父親だった人の2人の連絡先、全く知らん。

 

ウテナは閉じた世界からの脱出を選んだ、間違いなくウテナの系譜である水星の魔女は脱出ではなく自分たちの力で世界を作り変えていってほしい。